こんばんは。
アメモチです。
すでに報告のあったナベッチ、ヤッシー含む18名のアキレス・ツアーで12日の青島太平洋マラソンに参加してきました。
例年のことですが、現地宮崎ではユニファイドラン、レインボウスポーツクラブ、国債視覚障害者マラソン協力会など、複数のグループの多くの皆様に大変面倒見ていただき、本当にお世話になりました。
心よりお礼申し上げます。
以下、長文で失礼いたします。
さて、私はアキレスのハッシーこと橋本さんの弟のやすしさんの伴奏でフルマラソンに参加しました。
4週連続フルマラソンの4週目なので、何とか完走できればとの思いで、最初はゆっくり入りました。
キロ8分ぐらいのペースで走っていましたが、途中トイレに行きたくなり、7キロ地点でトイレに立ち寄りました。
ところが、ここがかなりの長い列で、かなりの時間待って、トイレを終えてコースに戻るとほとんど周りには誰もいない状態、伴走のやすしさんとともに、「こんなにすいていると気持ちいいねえ」などと
おしゃべりしながらゆっくりペースで走っていたところ、急に関門が気になり始めました。
しばらくいくと、大会運営の自転車が追い越したので、関門を尋ねてみると、10.1キロのところにあると言います。
しかも、かなり時間が迫っている状態。
恥ずかしながら、残りの距離と制限時間の関係が瞬時に計算できなかったのですが、とにかく急がなければやばいということがわかったので、9キロ地点あたりからかなりのハイペースで飛ばしました。
そして、10キロ地点だったか、「後50秒」という声が聞こえてきました。
「後30秒、20秒、10秒、9秒、8秒・・・5秒」とカウントダウンされる中、ただひたすらほぼ全力で走らされました。
伴走のやすしさんが「もう大丈夫です」と言ってくれて、ようやくペースダウン、ようやくそこからまたマイペースに戻りました。
ところが、一度関門ぎりぎりだと、常に関門が気になるもので、エイドで何回か関門の情報を得ようと思って尋ねたのですが、なかなか明確な情報は得られませんでした。
(あらかじめ調べておくべきでしたね)
20キロぐらいの地点で、現地の伴走者、前野さんが加わってくれました。
前野さんの情報によると、23キロ地点の次の関門はかなりぎりぎりかも、という情報を得たので、ここでまたペースアップ。
ただ、もう20キロも走ってきたので、少しはアップしましたが、10キロ地点でのスピードはもはや出ません。
でも、何とか23キロ地点の関門をカウントダウンの声を聴くことなくクリアー。
そこで、伴走をやすしさんから前野さんに代わってもらいました。
その後、27キロ、31キロと関門がありましたが、このあたりは、何とかさほどの切迫感なしに通過することができました。
前日、このコースを何回も走っているよっこさんから、「関門は最初はちょっと厳しくて、だんだんゆるくなっていくよ」と聞いていたことを今頃思い出しました。
さて、ところが、次の関門は、私の心でした。
31.7キロ地点は、スタートした運動公園です。
青島太平洋マラソンは、一度スタート地点に戻ってから、青島という地区にまた走り出て戻ってくるというコースです。
私はトイレに行きたくなったので、運動公園の中に入って、トイレまでつれていってもらいました。
その間、宮崎のマラソン協力会の方に「お帰りなさい」と声を掛けられて、「まだ終わってないんです」と答えなければなりませんでした。
実は、その時点ですでに4時間半が経過していたので、「お帰りなさい」と声を掛けられても当然の時間だったのです。
トイレにあがるとき、足が上がらず、ようやっとの思いでトイレに入ることができました。
視覚障害者テントもすぐ近くにあるし、そんな状態だったので、本当にもうやめようかなとも思ったのですが、何とか気持ちを奮い起こして、10キロ・レースをここから走るつもりで出発しました。
後は、とにかくゆっくりですが、極端にペースを落とさないように走るだけでした。
伴走をしていた前野さんの仲間の方が数人私と同じような位置で歩いたり走ったりしていたようで、よく声を掛け合っていました。
結局、6時間14分で何とか完走することができました。
6時間30分という制限時間に助けられました。
こんな変な走り方の私の伴走していただいたやすしさんと前野さんには、本当にお世話になりました。
11月23日の福知山から4週間連続でフルマラソンに挑戦した結果は、毎回タイムが落ちていきましたが、すべて完走することができました。
31.7キロの運動公園でリタイアしなくてよかったとつくづく思います。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。